ポケパラ4Uロゴ

「ポケパラ4U(ふぉーゆー)」はキャバクラ初心者の子のためのHow Toや、いまスグ使えるステップアップ術などキャバクラで稼ぎたい女の子のための情報メディア。今をもっと楽しくさせる。

「2足のわらじ生活継続中」モノカキ専業森山まなみのプロフィールと湘南ライフ

森山まなみさんのプロフィール まなみのお悩み相談室

ポケパラ4Uの読者の皆さん、「はじめまして」の方が多いかな?「お久しぶり」の方もいるでしょうか。ライター・作家の森山まなみです。元キャバ嬢ということで長くポケパラさんにはお世話になっています。

今回は、以下のことについてお話していこうと思います!

  1. モノカキ専業まなみの基本情報
  2. 昼職と夜のキャバ嬢二足のわらじ生活
  3. 脱サラしてモノカキ専業へ
  4. これまでの人生を振り返える

最近はすっかりライターの仕事よりも、家業の会社がメインになって非常に不本意だったり・・・。会社員とライターと、他にも育児中のママという顔もあります。

森山まなみ
プロフィールは人生を語るようで恥ずかしいのですが、「こういう人生もあるんだなくらい」に思って珍しがって読んでもらえれば嬉しいです。
目次

モノカキ専業まなみのプロフィール

森山まなみ
某ロジスティクス会社役員/ ライティングチームエージェントM主宰

12/12生まれ。学生時代にキャバ嬢デビュー。大学卒業後に昼の会社に就職するも、お水はあがれず、兼業キャバ嬢として2足のわらじ生活を始める。

ネットに強みを持つサイバーキャバ嬢として活動しているうちにWEBサイトを中心にモノカキ活動を開始し3足のわらじへ。キャバ嬢として培ったノウハウを元に少女マンガ原作や書籍出版で作家デビュー

森山まなみさん原作作品

2006年、新宿を中心にキャバ嬢&裏方を続けて13年、キャバクラ発祥のお店といわれる新宿CATSにてキャバ嬢から卒業。2007年モノカキ専業へ。

昼の仕事をしながらキャバ嬢活動

キャバ嬢を十数年やっていた私ですが、実は専業だったことはありません。「キャバ嬢」を謳ってさんざんモノカキの仕事をやってきているのにこれは詐欺かな?

キャバクラのバイトを始めた時は女子大生で、会社員になってからも続けていて、ずっと昼と夜で別の顔があったわけです。就職するのに夜のお仕事を続けるのはNGだと思ってはいたけれど、当時はあまり景気が良くなくて、事務系は基本的に残業NGの会社だったんです。

つまり、アフターファイブが超ヒマ!毎日遊び歩くくらいならキャバ嬢を続けちゃえ~みたいなノリで働き続けていました。女子大生キャバ嬢の時もそうでしたが、兼業キャバ嬢って、それがネタになるので会話に助かりましたね。

OLなので、お客さんと“会社あるある”で盛り上がったりもできるし、女子社員ならではの裏話はサラリーマンの皆さんに興味を持ってもらえたり。

あと、昼に学校や会社があるとアフターを断りやすい。早く帰りたい時には「明日は朝早いのでもう上がりなんです。ごめんなさい」みたいな。実際、平日は終電まで勤務にしていました。

兼業だからって嫌な思いをしたことは記憶にないです。「腰掛バイトだろ」とか「お小遣い稼ぎは気楽で良いよな」みたいなイヤミを言われても、実際その通りだったし、「だから何?」という感じだったのでダメージはなかったですね。

脱サラしてモノカキ専業へ

モノ書き

会社員とキャバ嬢とモノカキの3足のワラジを何年か続けていたのですが、2006年に初書籍「嬢マニュアル」を出版したことでキャバ嬢として一区切りつけることにしました。

キャバクラが大好きで、キャバ嬢をずっと続けていたかったけど、アラサーを過ぎていつまでもダラダラと現役を続けるのはお店に迷惑かな・・・って。その頃は歌舞伎町の「新宿CATS(キャッツ)」というキャバクラ発祥のお店といわれる老舗クラブに在籍していました。

ただ、自分の指名客が来店するのみ出勤というスタイルでお世話になっていたので、あまりお店に貢献できてなかったんですよね。当時の店長さんと長いお付き合いがあったから、我がままを聞いてもらえて本当にありがたかったです。

「嬢マニュアル」発売日に卒業イベントを開いてもらって、十数年のキャバ嬢生活に終止符を打ちました

キャバ嬢マニュアル

そして、翌年2007年ごろ会社の方も退職しました。いろいろご縁に恵まれて、本業(会社員の仕事)に支障が出るほど副業が忙しくなったこともあっての脱サラです。

手取り20万円にも満たないお給料だったけど、社会的な信用の高さで会社員の肩書をずっと捨てられないでいたんですよね。でも、拘束時間も長いし、もっとモノカキに時間を取りたくてライター専業になりました。

森山まなみ
そのころは原作を担当していた少女マンガ「ママはキャバ嬢!」の連載が絶好調だったのが大きかったですね。

これまでの人生を振り返って

青空

私、今でこそ楽天的で大ざっぱな人間ですが、昔はけっこう典型的なA型人間でした。長女だし、父親は厳しかったし、真面目な方だったと思うんです。それがどうしてキャバ嬢になったのか?

モノカキという仕事も選択肢に出たことはなかったのに。だから、これまでの人生は思っていたようなものでは全然なくて、現状は自分でも不思議なのです。どこをどう転んで現在に至ったのか、ざっくりと人生を振り返ってみます。

高校時代

県立の女子高に通っていました。創立100年だけあって、公立なのにいわゆるお嬢様学校ってヤツです。おっとりした校風&生徒でのびのびと過ごしました。放送部だったので、将来はアナウンサーとかも良いかななんて思っていたこともあったり。

マンガも大好きで漫研と掛け持ちして、ひたすらマンガを読むという楽しい放課後ライフも過ごしました。1年生の時にたまたま風紀委員になって、2年生3年生で風紀委員長に。けっこう何でもやってましたね。

時代はバンドブームで、例に漏れずそっちにもハマるミーハーぶり(笑)。バンギャ寸前になったけど、どハマりした某ユニットがあっという間にメジャーで超人気になったので、そっちの追っかけになりました。

森山まなみ
この頃から道を外し始めたのかもですね・・・。

大学時代

キャバ嬢

花の(?)女子大生になりました~。はい、アホみたいに遊びました!コンパニオンのバイトで荒稼ぎして、バイト後はディスコ→クラブ→ボーイズバーが定番のコース。お立ち台でジュリ扇~パラパラの時代です。年がバレますね(笑)。

キャバ嬢デビューもこの頃。ボーイズバーの店長さんに系列のキャバクラでバイトしない?とスカウトされて気軽な気持ちでキャバ嬢になったのでした。まさかその後ん十年も続けることになるとは・・・。

ディスコのVIPルームで追っかけしてた某ユニットのサポメンにナンパされて仲良くなって(狙ってたわけじゃなく超偶然です!)、チケットをもらったり、スタジオに遊びに行ったり、飲み会に参加したりと女子大生ライフを満喫していました。自分史上たぶん最高&最強の時代(笑)。

でも、アメリカ大留学を目指していたので勉強はちゃんとしていましたよ。超ギャルだったので、成績が良いのが「超意外!」と周りにびっくりされて面白かったです。驚かれるのが快感というか。

2年生の夏に渡米して、2年半かけて州立大学を卒業しました。ちなみに夏休みと冬休みのたびに帰国してコンパニオンとキャバ嬢してました!学生ビザではバイトできないので、日本でお小遣い稼ぎまくってアメリカに戻るというパターン。若かったな~。

サラリーマン時代 

大学卒業後は帰国して横浜にある会社に就職しました。無事に新卒で入社できたけど、就活はやっぱり大変でした~。帰国子女なんてたくさんいたし、最終面接までは残れても内定はもらえず・・・。

結局はコネ入社です。

中堅どころのメーカーだったけど、そんなに売れてる会社でもなくて、新卒の手取りは18万円くらいだったかな?9年の会社員生活では広告宣伝部、品質管理部、海外営業部を経験しました。

アフターファイブがヒマなのと、18万円のお給料じゃ生活に余裕もないしで、就職してもキャバ嬢は継続。学校の勉強があったころと違って、キャバ嬢に思いっきり力を注ぐことができたから真面目にキャバ嬢活動してた時代です。

美味しいご飯を食べさせてもらえて、さらに同伴&指名バックももらえるという素晴らしいシステムを活用しまくって稼いでいました。

兼業キャバ嬢だったおかげで貯金がたくさんできましたよ(笑)。昼も夜も働いていて、お金を遣うヒマがなかったし。ケチってるわけでもなかったけど、遊びに行ってもお金が要らなかったです。男の人が出してくれていて、それが当然の時代です。懐かしい・・・。

湘南ライフ

湘南

会社を辞めてフリーランスになり、住むところに制限がなくなったので、憧れの・・・

\ 湘南に引っ越しました!/

子育ても田舎の方が良いよな~って。思い立ったが吉日とばかりに即動いて、なんと一ヶ月で物件を決めて引っ越し、2009年の夏に湘南ライフをスタートさせて現在に至ります。

鎌倉や江の島が生活圏内にあるっていう環境は今でも感動します。富士山もよく見えて、本当に贅沢なのです。家族で海辺をお散歩する休日とか夢でした・・・!

フリーのよろずモノカキ。書籍出版、マンガ原作、ゲームシナリオ、webサイトコンテンツのコラムや記事やブログなどなど書き仕事をいろいろ承ってはいるけれど収入は安定しません。

そんな中、パートナーが起業して会社役員になることができました!現在は、再びの2足のワラジ中です

まとめ

学生時代の人生設計では、バリバリのキャリアウーマンになる予定でした。もちろん企業で。結婚する予定も、子どもを持つ予定もなかったのに、ほんと人生って分からないものです。

それがまさかキャバ嬢をネタにするモノカキになるなんて1mmも思ってなかったし、家業の会社を手伝うことになるとは・・・。

そんな私の座右の銘は「何とかなる」です。まさに”ザ・楽天的”な言葉ですよね。「これは無理だろ~」っていう仕事や予想外のアクシデントもこれで乗り切ってきました。目の前の仕事、やるべきことを何とかこなしてきただけとも言えますが。でも、これからも地道に精進していくのみです。

ポケパラ4Uさんでもコツコツ書いていきたいと思っています。よろしくお願いしますね♪

記事一覧へ

新着記事

ページトップへ